Everything happens for no reasons.

ボランティア



先週末、
ボランティアに参加した。


食品会社が些細な理由で
(パッケージデザインが変わるから、とか
 箱がつぶれたから店頭に置けない、とか
 店で売るには賞味期限が短い、とか)
処分してしまう食べ物を
寄付してもらって

それを調理したり袋に分けたりして
ホームレスや食べ物に困っている人に配る、という趣旨の。


起業は廃棄にお金を払わなくて済む、
食べ物に困っている人たちはお腹が膨れる、
第一に「食べ物」を捨てないで済む。


話によると、ものすごい量の食べ物を
(正確な数字が分からないのであえて中途半端な数字は書きません)
日本人は捨てている、と。
(日本だけではないけれど)


私は昔、惣菜を販売する仕事をしていた。
そこでは「添加物・保存料は使わない」という理念だったため
販売できる時間が2~3時間に限られ、
結果、廃棄処分せざるをえないという仕組みになっていた。
だから、仕事として、大量の食べ物を
毎日毎日ゴミ袋に詰めていた。

「身体に優しい食べ物を提供する」を守るために
「食べ物を捨てる」。
その矛盾にいつまでも慣れることが出来なかった。


で、
今回参加した感想。
団体の活動に対して否定的な気持ちはない。

ただ、
企業から食べ物を寄付してもらって
第三者に提供する以上、
調理しないで配るもの(パン・飲み物・クラッカーなど)は
ある程度先まで食べられるものに限られるので
保存料とか着色料とか、ばんばん入った
決して質がいいとはいえないものになってしまう。


調理するとしても
冷凍の果物や、すでに加工されている卵焼きや、
やっぱり保存のきく調味料を使わざるを得ない。
(箱のなかの一部が腐ってるというだけで、
 売り物にならない野菜はちょっとマシかもしれないけど)


食べ物の質という意味では
決していいとは言えない。
むしろ、ひどい。


しかも、
そのときそのときによって
寄付してもらえる食材は変わるから
すぐに配り終えなければいけないものもあるし
全体のバランスをとるのも難しい。



そういった制約があるなかで
この団体はベストを尽くしていると思った。



でも、
極端な言い方をすると
「ゴミ箱に捨てるか」、「人の口に捨てるか」、
だけの違い、という気がした。




こういう状況でも
オーガニックとか身体にいいものとかを
提供すべきだ!ということが言いたいわけではない。




私が思ったのは
人の口に入ることを無視して
企業が利益を出すためだけに
食べ物を作り続ける限り
「捨てられる食べ物」はなくならないんじゃない?ってこと。


台所に存在しない成分がいっぱい入った食品は
もはや「食べ物」とは呼ばないけど。


食べ物に困る生活をしている人たちが
そういうエネルギーがまったく沸かない食べ物を食べ続けても
その人たちの意識や生活が
いい方向にいくとは思えない。


そして、食べ物をもらいにくる人たちの中で
本当に困っている人と
ただその生活に甘んじている人との線引きは難しい。
(団体の人たちはあえて、人を救うことより
食べ物を捨てないことの方に重点を置いている。
ホームレスの定義はとても難しく、それはまた別の話になるから。)





企業の姿勢を変えるということは
不可能に近いと分かった上で
それでも思う。

作って、
都合が悪いから、捨てる、の
繰り返しはおかしい。


ちっちゃな自分でも出来ること。
それは、そういう姿勢の会社からモノを買わないこと。
納得のいく商品を、必要だ思う量よりちょっと少なめに買う。
本当に必要なものは、そんなにたくさんはない。
買う前に、本当に必要かどうか考える。


都会のど真ん中に住んでるし
無農薬の野菜を買ったって、たくさんビニールはついてくるし
(だからなるべく農家から買うようにしてるけど)
自分の飲み水はろ過してるくせに、メイク落としで顔洗ってるし
(植物性由来のものは使ってるけど)

生きている以上
矛盾は山ほどあるので
他人を責める前に
まず自分ができることを
一個ずつきちんとやろう。


知らないままやり過ごすんじゃなくて、
「おかしいな」って思ったことをそのままにしないで、
事実や理由を知った上で
何を選択するか。
その選択と結果に、責任を持つこと。


そして、
「私には出来ない」とか「無理に決まってる」とか
決め付けないで
「まず試す」。




最近、急に
サボテンが元気になってきた。






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by dandelionism | 2009-09-09 13:23 | I THINK